2010.12

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「Whatever Works」

巨大なキッチンスタジオのような手術室から出てからというもの、まるで十二月という湖に浮かんでいる気分。 時折風が吹き、水面に波紋が広がるのだが、またすぐに鏡のような完璧な静寂のなかへ。 寒さに痺れて動けないのか、それとも、ただ空を眺めて動かないだけなのか。 戻れるものなら戻りたい自分がいないわけではないが、どうやら彼女、夏の酷暑で痩せ細り、もうとっくに亡くなってしまったらしい。
「純粋さを持ち続けられるならば、人生はひどく悲劇的なものではあるが、ずっと良いものになるだろう。」...Woody Allen

2010.11

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「祈りの作用」

特定の宗教を持たない自分にとって「祈り」とは、何かとても宗教的な、妄信的なことのように思っていた。それは一種の気休めで、まじないのようなものだと。ただ歴史的にみても宗教が偉大な芸術を育んで来たことは事実であり、スゴイことだとは思うが、それはただ美術史の話というだけ。 神だとか仏の話は置いておいて、今考えているのは宗教のことではなく、ただの「祈り」について。
悲劇と喜劇とが表裏を成していることを頭では理解できていても、実際に自分がその舞台に立たされてしまうと、とても冷静ではいられない。 物事には限度があり、それ以上先へは進めないと気づいても、その頃にはもう戻り方がわからなくなっている。目蓋を閉じても開いても、常に同じ暗闇がそこに居座り、呼吸する度に孤独で胸が詰まる。かつて味わったことのない喪失感と失望と無気力。 やがて気がつくと、心のなかで、何かに向って祈っていたように思う。
たぶん「祈る」ということは、自分の置かれた状況を把握し、限界を前向きに認め、わずかな救いでも受け入れられる態勢をつくること。 祈ったあとは、しっかりと覚悟を決めて、飛ぶだけ。

2010.10

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「言葉とイメージ」

ホメロスの有名な叙事詩『オデュッセイア』の文中に度々出てくる独特の枕言葉で「翼ある言葉をかけて言うには…」という決まり文句のような言葉がある。鳥や矢のスピードを比喩にした「速い」ということを意味する言葉らしい。しかし昔これを読んでいたころ、いつからか自分の頭のなかでは勝手に「翼」→「鳥」→「優しい」とか「親切」のイメージに連想で意味を変えてしまった。さらに飛躍して木に止まって美しい声で鳴いている小鳥のイメージまで見えてしまう始末。なのでオデュッセウスやその息子テレマコスに頻繁にこの言葉をかける女神アテネの優しいこと優しいこと。
そのような自分で作り上げたイメージのせいで、今でも親身になった優しい言葉や親切な言葉を耳にすると「翼ある言葉だなぁ」と勝手にしみじみ思ってしまう。
言葉に翼があったなら、元気が出て空を飛べそうではありませんか?今月はそんな「翼ある言葉」をいただいたような気分です。

2010.09

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「Swimming Pool」

自分の居場所を見つけるということはいくつになっても難しい。 正しい道を選び続けていたつもりでも、気がつくと目の前で正しく道が切れてしまったりする。 さて、どうしたことか。どうしたことか。
学生の頃、水泳部であったことを思い出した。四角く透き通った水面は太陽を反射して眩しく輝き、練習が終わる頃にはうっかり飲み込んだ塩素のせいで胸が焼けた。そして今年の夏はあまりの酷暑にハートが焼け落ちた。 今ではすっかり忘れていたが、まず身体を水に浮かせるためには全身の力を抜いて余計なものから手を離さなければならない。心配しなくても人間の身体はちゃんと水に浮くように出来ている。 だから自分も今まで手にしたものからいっさい手を放してみることにする。健康をのぞいて。 執着から離れるということは頭で考えるほど簡単なことではなく、凡人の自分には並大抵の辛さではない。記憶も含めて、身体を沈める重石になる感情から手を離す努力をしてみる。
どうかまた我が身が再びふわりと浮きますようにと。

2010.08

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「夕立」

学生の頃、南の島で初めて飲んだマイタイや、スニーカーからこぼれ落ちる砂の記憶への執着から、クロッキー帳にメモをつけはじめた。今年でちょうど10年、現在外出の度に鞄に放り込まれているのが17冊目。日記と呼ぶにはあまりにいい加減な代物で、気が向いたときにだけ文字や図案を記している。 何気ない言葉やアイディア、ヒラメキはちょうど夕立のようなもので、通り過ぎてしまえばただの路面の湿り気にすぎない。そこで雷が鳴り突風と猛烈な雨が降ったなど、居合わせたもの以外に誰が知るだろう。
このところクロキー帳に記される文字はあまりにも無力だ。読み取れるのはせいぜい日付と曜日くらい。どう書いても言葉は足りず、書けば書くほど余計なものばかり増えてゆく。 以前は優秀な精神科医として文字という錠剤を処方してくれたものだが、今は出来事に圧倒され痩せ細ったただの暗号。言葉や文字ではとてもこの混乱した頭のなかを説明できない。 例えばかつて自分が決断し大切に守ってきたものを、今になってまるで意味が無かったことになどできるだろうか。ただの夕立だったと諦めらることが出来るのだろうか。。

2010.07

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「飛ぶのが怖い」

数年前に古本屋で見つけたエリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い』。手元にある一冊はちょうど自分の生まれた年に刷られたもの。1970年代にアメリカで大ベストセラーになった自伝的小説らしい。ちなみに新潮文庫の装丁には池田満寿夫の作品が使われ、近年に河出文庫から出たものは山本容子の作品が使われている。なぜかどちらも版画作家の装丁。実をいうと自分はまだこれを一頁も読んでいない。
どの時代の作品であれ、文学になるような女性の赤裸々な告白というものは、生半可な気持ちでは読めないものだ。『アナイス・ニンの日記』もしかり。恐いものから目をそらさないその徹底ぶりは、まるで我が身に部分麻酔をかけながらメスを振るっていよう。これは女性独特の強さなのか残酷さなのか、はたまた正直さなのか。読んでいるこちらまで傷口がヒリヒリと痛む。 とにかく、自分は毎度この本を手にしながら表と裏をひっくり返し、ブックカバーをかけては剥がし、また本棚に戻してしまうのである。まだ読む時期じゃないな、などと言い訳をしながら。もしかすると一生読まないかもしれない。そして読みたくないのは「飛びたくない」からなのかもしれないとも思う。高所から下を見下ろすと胸が高鳴るのは、怖い怖いと思いながら自分が落下するのを想像し、地面に吸い込まれたくなるからだ。
この「飛ぶのが怖い」という言葉は、全ての女性の持つジレンマそのもののように思う。初めから飛びたくなどないと思いながら生きているのに、いつの間にか飛ばなければいけない局面が何度も出てくる。それは本当に飛ぶ必要があるのか?怪我をするのではないか?飛んだ先に何があるのか?
残念なことに、飛んでみるまでは何もわからない。

2010.06

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「ドライブ」

深夜、人を迎えに三つ隣の駅まで車を走らせる。
こっそりと本当のことを言ってしまえば、車なんて嫌いである。独りでハンドルを握ってみればよくわかる。次第に「運転している」という実感が薄れ、やがて本当に自分が運転しているのか疑わしくなってくる。車のスピードというのはどこか空想のようで、自分という本体はまだ居間で牛乳をたっぷり注いだコーヒーを啜っているのではあるまいか、と思えてくる。もしも突然の自動車事故で即死したならば、果たして自分が死んだという自覚がもてるだろうか?くだらないがそんなことが気になって、できれば独りで車に乗りたくない。
では二人で車に乗ったらどうなるか?運転席と助手席の二人の会話が弾むなら、スピードが現実であろうがなかろうが気にならない。しかしハンドルを握ったドライバーの、運転に気をとられた無意識の本音発言には要注意。気がつくと助手席の人間は言葉の矢に射抜かれて、ドライバーの気づかぬうちに隣で静かに息をひきとっている。自動車事故はシャドウより車内で起こっていることが圧倒的に多いのだ。
夏至から四日過ぎた月はほとんど満月に近かった。 冬はいつも右前方にあらわれて、信号と電線にからまり苛立っていた。しかし今は悠々と右後方からついてくる。あれだったら一緒に車にのせてもいいかなと思う。むしろ乗ってくれないかなと、停まる度に位置を確認する。上品で奥ゆかしく時に怪しく妖艶。 何百年も昔に詩人が空に放った大きなピリオド。

2010.05

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「うさぎの小径」

2、30年前まではこのあたりにも野うさぎが住んでいたらしい。
今では人の手が行き届き、草が胸まで伸びればどこからともなく草刈り機がエンジン音と共にやって来て、木の根元まで刈り取ってしまう。鬱蒼とした森の暗がりがなくなったせいか、やがて野うさぎも森の奥へ姿を消したようだ。 実はここへ越してくる以前から、自宅のリビングでうさぎを飼っている。硝子玉のような丸い目をした堂々たる臆病もの。瞳をあまり長く見つめていると、頭のなかをサラサラと風になびく草原で埋め尽くされてしまうので注意。
さて、このホームページのタイトルを「うさぎの小径(こみち)」としたのは、ただ自分がうさぎを溺愛しているからだけではない。「兎」には文学的素養があるからなのである。もちろん身近にうさぎが居るからこそ着想もわくのだが、そこには周到な無意識の意図がある。
昔うさぎは人間の生活圏内に出入りすることのできた、今よりもずっと身近な動物だったのである。そしてまた物語や宗教画に登場するうさぎたちは、どれも「誘惑者」や「案内人」の役割を担っている。うさぎは人の住む庭や畑、小道から現れては人を森へと誘うのである。そして森は人知の及ばぬ領域。聖域でもあれば邪悪にもなりうる。つまり人が生活するレベルとはまったく別の世界なのである。しかしこのうさぎが誘うのは、狼が赤頭巾を誘う危険な森ではなく、たぶん日常のほんのひとつ隣くらいなのだと思う。目が覚めればふっと現実に戻れそうな世界。
そのような非日常に人を誘うにはどうしたらよいのだろうか?と考える。自分の世界に人を誘うにはどうしたらよいか?そこで、うさぎをインターネットという野に放し、あなたをこちら側(銅版画の作品)の世界へ案内しようというのである。そのための「うさぎの小径」。

2010.04

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「Unblock me」

今月は久々に「パズル」にハマってしまった。 先月はまだ体中に緊張の糸が張り巡らされていたのだが、ふっと気持ちが緩んだところに、なぜか「パズル」がとんでもない勢いで入り込んでしまったのだ。まるで砂漠を彷徨う旅人が、オアシスを見つけ慌てて水面に顔を浸すような猛烈な渇き。何も考えず指先でブロックを動かすことのなんと心地良いことか。一問解くごとにうっとりしてしまう。初めの400問を一週間ほどで解き、ようやく気がおさまった。パズル暴飲暴食の怪。 この「unblock me」(私の障害を取り除いて)というパズルゲーム、ルールは簡単でタテの棒は縦にのみ動き、ヨコの棒は横にのみ動く。前後左右の棒を動かして、赤い横棒を右の切れ目から通せばクリアである。ルールの単純なゲームほどのめり込みやすい。
この突然のパズル熱もそうなのだが、たまに自分の意思とは関係のないところに、突然チャンネルが繋がってしまうことがある。もしくはこれからやろうとしていることが、まったくの圏外になってしまい、頭をどちらへ向けてもまったく反応が無くなること。まさに自分がデクノボウになったようで、ただオロオロと歩きまわる。 しかし、ただ厄介なチャンネルにだけ繋がるのではない。たまには物事が好転することもある。目に見えない障壁が取り払われ、その間は自由に動くことができる。例えば人との出会いや再会。環境の変化。読書や会話による言葉の閃きや理解。閉まっていた窓が音もなく開き、心地良い春風が部屋に吹き抜ける。
しかし一体どのブロックを、どの順番で動かしたらそうなったのか、自分ではよくわからない。

2010.03

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「ミモザ」

去年の末から準備をしていた個展が無事終了し、ようやくホッとした気持ちになるかと思ったが、案外そうでもなかった。体を動かした後に筋肉痛になるのに似て、糸がピンと張ったような緊張感は残ったまま。さて、これからまた次の糸を張りますか?という具合に、クロッキー帳に描きためたアイディアを覗き込んでいる。
銅版画の技術というのは、もう何世紀も前にほぼ完成されている。しかしまだ銅版画と出合って間もない自分にとっては新鮮そのもので、無理に奇抜なことを試さなければならないような、気負いがないのもいい。自分が表現したいものへ素直に取り組める。更に言えば、銅版を制作する工程での途方も無い面倒くささと、自分自身の性格の面倒くさい部分とが、うまく融合しているようにも思えるのである。
そして今回の個展では試みに、作品に短い文を添えてみた。文章はまだまだ未熟だが、自分が望んだとおり作品にふくらみが出たように思う。恐らく見る人によっては文章を鬱陶しく感じるかもしれないが、それはそれで仕方のないことと諦める。自分のなかには紛れもなく文字や物語の気配のようなものがあり、現在銅版画に辿りついたのもそのせいなのである。
写真は悪天候のなか個展に駆けつけてくれた友人が、自宅の庭からわざわざ折って持って来てくれた一枝。ミモザは春を告げる花である。見ているだけでおなかの底をくすぐられるような、あたたかい陽射しの予感がする。

2010.02

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「家族と孤独に関するささやかな考察」

深夜。飛んでくる大きな蛾を避けようとして、布団から見事に転がり出てしまった。夢だと分かっていたのに…。その数時間後、今度は棚をカタカタいわせるほどの地震がしばらく続いた。しかしこのときは寝床からピクリとも動かなかった。目覚めてから
冷静に思いかえすと、なんとも滑稽な話である。 もちろん自分が本物の地震の怖さを経験したことがないからなのだが、それでもこの夢や妄想のイメージが日常生活と密接につながっており、人を容易に動かしてしまうということなのだと思う。たぶん誰もが無意識のうちに、ほとんど現実と同じくらい、この夢や妄想と一緒に暮らしている。表現をもっと身近なものに変えれば、「思い込み」や「先入観」というイメージが、実際に目にしないところを隙間無く埋めつくしている。ソレが「現実」でコレが「妄想」だと、一体どうやって見分けられるだろう? この無意識のうちに操っているイメージのために元気づけられることもあれば、心を蝕んで生きる気力を無くしてしまうのも事実。
3月の個展では『家族と孤独に関するささやかな考察』などと、少々大げさなサブタイトルをつけてしまった。「家族」にも「孤独」にも、人それぞれ胸のうちにドキリとした何かを抱えているに違いない。どちらもまさに現実と妄想の織り成す集大成なのではないだろうか?
また、ときに「孤独」を救ってくれるのは「家族」なのだが、心を麻痺させるほどのとんでもない「孤独」を押し付けるのも、実は「家族」であったりする。「家族」と「孤独」は相反するもののようだが、実はお互いに深く作用し合っているのではないだろうか。ただ勘違いしてはいけないのだが、「孤独」は決して悪ではない。「孤独」がなければ自分の内面を冷静に見つめることもできないし、文学や芸術の世界で名作も生まれないということ。
ぶつぶつ言葉を並べても仕方がないが、とりあえず今描こうとしているのは自分にとって心地よい景色なのだと思う。「家族」も「孤独」もスルリとかわす、紙に描いた免罪符のようなものかもしれない。

2010.01

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「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ」

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』とういう詩がある。自分には思い出深い詩で、人生で一番最初に暗唱したせいか今でも全文覚えている。原文は旧仮名遣いのため、小学校低学年だった自分はカタカナにも漢字にも小さく読み仮名をふり、それをほとんど呪文のように覚えた。それを母の枕元で得意になって暗唱してみせるのが日課だった。
当時はこの詩の意味を「健康であること」「人助けをすること」という程度に理解していたと思う。ところが少し大人になって気づくのだが、ここに語られる理想の人物とは「聖人」もしくは「悟り」がひらけてしまったレベル。完全に無欲でボランティア精神の塊のようなのだ。やがて学校の授業で宮沢賢治を知るころには、この詩に興ざめしている自分がいる。そんな人になれるわけがない。そんな人がいるわけがない。 いかにも夭折する詩人が書きそうな無垢の詩。そして死を肌で感じはじめる人間にとっては、祈りのような清らかな詩なのかもしれない。 この詩のなかに「デクノボウ」という言葉が出てくる。最近めったに聞くことのなくなった言葉だが、「役立たず」のような人を蔑む種類の言葉だと思う。妙なことに最近この「デクノボウ」がなんとなく気になるのである。
「デクノボウ(役立たず)」という言葉を使う側には、「デクノボウ」に対する諦めに似た奇妙な容認があるような気がするのだ。普段はほとんど役に立たないが、人知の及ばない場面においてのみ、助けになる何か。トランプで例えるならクラブの3のような存在。昔の人はこの「デクノボウ」の用法を感覚的に知っていて、完全に閉め出さなかったのではないだろうか。
そしてこのデクノボウ的余白は、実は誰もが持ち合わせているもののような気がする。さらに、もしかすると「デクノボウ」と「アート」は、遠い親戚だったかもしれないな。と、野原の梅の林の蔭から密かに思った。