2014.12

2014_12

「精魂こめる」

冬の街で目にする華やかさには、さほど心を動かされない。それは普段、街の中で生活(仕事)をしているからかもしれないが、どれも消費を促す合図のようだ。神聖な輝きは外ではなく内にある小さなともしび。
厳かな冬には魂が籠る。心のなかで静かに、深く深くのびゆく物語と生命の気配に耳を傾ける。それが滋養のある冬の過ごし方。

2014.11

2014_11

「鳥瞰」

11月も終わりに近づいてくると、ギリギリまで先延ばしにしていた来年以降の予定などを決めなければと緊張してくる。自分で決められることもあれば、向こうの結果を待たなければいけないこともある。とはいえ(幸いなことにと言うべきなのだが)基本的には自分で決められることばかりである。さて、ここで過去数年と現在、未来を視野に見渡してしばし考え込む。
人生というのはたった一回なので、全てを経験することは出来ない。だからこそ、手に入れたいと思う事柄については貪欲に挑戦することが必要なのではないかなと思う。どこかで妥協しようとする自分との戦い。

2014.09-10

2014_9

「燠火」

もの事は上手くいくときは上手くいくし、ダメなときは全くダメ。けれども自分でまだ本気でチャレンジしないうちに、人の話を聞いただけで「これは自分も無理そうだ」と諦めてはいけないのだった。そんなことをようやく思い出し、心を新たにした10月。理想と現実の板挟みに遭いながら日々の忙しさに追われ、つい心の奥に仕舞ってある大切なものを忘れそうになる。まだまだ攻めの姿勢は崩さない。

2014.08

2014_8

「沼地にて」

親戚のお見舞いに行った、ある午後のこと。
夏の陽射しは容赦なく体に照りつけ、地面は熱せられて湿気を含み、木立からは蝉時雨が降り注いでいた。沼に近づくと蚊がこちらに飛んでくるように思え、こんなところに無防備に長居は無用かと思いはじめた時、足下の水面にもう一つの夏の景色を見つけた。静寂と光と影と。それは完璧な絵画の世界だった。
老化や病気というものは、すべてが「死」に向かうものではなく、もしかしたら逆に「生」を強調するものではないだろうか。今まで気づかなかった景色や感覚に出会い、その美しさや尊さを知る「窓」のようなものではないだろうか。

2014.07

2014_07

水芙蓉

蓮は泥の中から美しい花を咲かせる。
ちょっと違うけれど、作家とその作品の関係に少しだけ似ていると思った。

今年も無事に個展を終えることが出来ました。なんと今回で10回を数える。ここまで制作を続けられたのも、先月受賞出来たのも、個展に足を運んでくださった方々の応援であり、制作を共にしてくださる友人たち、日々の生活で助けてくれる職場の仲間、身内や親戚の励ましや理解なくしては成り立たない。深く感謝するとともに、今後益々良い作品を生み出せるよう泥の中で頑張りたいと思う。

2014.05-06

2014_5_6

「吉報」

それはなぜか日常的な苛立ちと同じタイミングで飛び込んで来た。
「受賞!?」という衝撃にすぐに吹き飛んでしまったが、熱せられた金属が急に冷やされるとしばらく冷たいような、現実味のない温度感が続いていた。
未だにどこか信じきれない感もあり、文字にして記録をつけるのが怖くもあり、ここに書くまでに数ヶ月かかってしまった。今回の受賞というのは、この先も銅版画の制作を続けて良いと言われたようでもあり、何らかの新しい課題を受け取ってしまったようでもある。

2014.03-04

2014_3_4

「春暮」

春というのはその穏やかな印象とは対照的に、嵐のようにやって来てあっという間に新緑の初夏へと駆け抜けてしまう。こちらは冬から醒めてまだモゾモゾとしているのに、気がつくと明るすぎる陽射しのなかで呆然と立ち尽くしている。
変化することへの恐れと、変化出来ないことへの恐れ。矛盾した心の移ろいに、夕日の美しささえ苦しく感じる。

2014.02

2014_2

「予感する」

2月というのは、なぜか予感のカタマリのような気がする。
白紙なのだけれど、秘かにその準備がすすめられているような。
空想の白い病室のかなで洋上を進む春の小舟を眺めるような。
シーツに落ちる淡い光の筋。浮遊するケセランパセラン。
もしくは、昼間には聞こえない列車の音が聞こえるような
忘れていたものを思い出す感じ。
ぼんやりとしていてハッキリとはわからないが、
きっとどこかで何かが少しずつ変わり始めている。

2014.01

2014_1

「お告げ」

今は忙しくて時間がないとか
自分には出来ないかもと言い訳をして
後回しにしていたものがいくつかある。
でも、そういうものこそがきっと
後の自分の底上げに繋がるのでしょう。
だから、やらないと…。